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ウィナー・スマイル:わずか 15 歳という若さでフィルダー シュタットの観客を感動させたオースティン。 運転免許証を取得するまで、すでに数台のクルマを 優勝賞品として獲得していた

かつてテニス界の天才少女として早熟な才能を開花させた、トレーシー・オースティン。彼女は第一回ポルシェ・テニス・グランプリで15 歳という若さで見事優勝を果たしたのであった。このプロスポーツ選手のその後のキャリアも、スピードを落とさないまま紆余曲折に富んだのだ。比較的早い段階で現役を退いた彼女の、ポルシェへの情熱は今も健在である。2017 年に 40 周年を迎えるこの伝統的なトーナメントに再出場する第一回大会(1978 年)の優勝者、オースティンを追う。

トレーシー・オースティンは日常を忘れ、ピュアな悦びに浸る瞬間を存分に楽しんでいる様子だ。ロサンゼルスの南に位置するパロス・ベルデスの丘には曲がり道が多く存在する。ここをアクセル全開にしてカリフォルニアの厳しい制限速度の限界へとポルシェを轟かし、アドレナリンを放出させるオースティン。そして自分の大胆さに驚くかのように、はにかみながら言うのだ。「丘の上から見下ろす景色は、地平線が一望できて壮大そのものですよ」。

非常に若くしてトップへと登り詰めたトレーシー・オースティン。当時その頂点から見渡した世界は、息を呑むほど驚きに満ち、壮大であったに違いない。現在 54 歳の彼女は、かつてテニス界の天才少女だった。14 歳の時に、ニューヨークで開催された全米オープンで最年少チャンピオンに輝いた。続く 1978 年、15 歳の時には、ドイツのフィルダーシュタットで開催の第一回ポルシェ・テニス・グランプリで、見事シングルス&ダブルス共に優勝を掴んだのだ。プロのテニスプレーヤーに移行してから、わずか数日後の優勝だった。「フィルダーシュタットで、プロ人生の最高なスタートを切りました」と、彼女は当時を振り返る。実際、その後の彼女のキャリアは上り調子であった。1979 年の全米オープン決勝ではクリス・エヴァートを破り、今日もグランド・スラム大会における最年少チャンピオンとして名前が刻まれている。テニス界の女王として君臨していたクリス・エヴァートとマルティナ・ナヴラ ティロヴァがトップの座を迫合い、どちらかが優勝を獲得するという流れが長年続いていた当時のテニス界。ここへ若干 17 歳のオースティンが彼女たちを退け、見事世界ランキング 1 位に輝いた。ちなみに、フィルダーシュタットの大会で 3 年連続優勝したその都度に賞品としてポルシェが贈られたのだが、当時まだ 10 代だった彼女は運転免許を取得していなかったのだ。

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テニスに没頭した子供時代

現在、トレーシー・オースティンが愛用しているマシンは 911GT3RS。あのポル シェ・テニス・グランプリで優勝賞品を獲得したことがきっかけで、ポルシェにも情熱を注ぐようになったのだ。「家族は皆、ポルシェをこよなく愛す大ファンです」と語る 15 歳、18 歳、20 歳の 3 人の息子を持つ母でもある彼女は、過去の記録が刻まれた数々の写真を入れた額をローリング・ヒルズの別荘にある『ウォール・オブ・フェイム(名声の壁)』に飾っている。50 代半ばになった現在もまだ、精力的にテニスの試合に参加している。強靭な打撃力は現在も衰えを知らず、それに耐えられる対戦相手として男性が選出されることがまだ多いという。この壁に記録されている写真は彼女のスポーツ伝記といえよう。3 歳の時に撮影された、身体と変わら ない大きさのラケットを握るテニスコートでの彼女の姿。三つ編みのお下げを垂らしてその笑顔からは歯の矯正器具が覗いている 13 歳の時の写真は、スポーツ週刊誌『Sports Illustrated』の表紙を飾った時のもの。ホワイトハウスの前での、当時大統領だったロナルド・レーガンとその妻のナンシー・レーガン、そして当時二十歳のオースティンの 3 ショットも収められている。

5 人兄弟の末っ子としてアメリカで生まれたオースティン。テニスは生まれた時から縁が深かったのだ。彼女が現在暮らす場所からも近いテニスクラブで、当時母親が仕事をしていたという理由で、兄弟は皆テニスをしていた。トレーシーも例外ではなく、三輪車を卒業する頃にはラケットを振っていたという。「何時間も壁打ちしているのが好きでした。10 回連続でできるとすごく嬉しかったのを覚えています」と、当時を振り返るオースティン。いつしかテニスクラブのマネージャーの目に、彼女の情熱が留まったのだった。課された回数のラリーをオースティンが達成するたびに、このマネージャーは小さなプレゼントを渡し、子供である彼女のモチ ヴェーションにさらに火をつけたのだった。

テニスに対する野心はオースティン自身から芽生えたものであり、意欲的な両親のもとで育った他のテニス選手のスター達とは一線を画している。父親は学術研究に勤しんで、彼女のテニスで収めた成績に対して過剰に喜ばなかった。「シュテフィ・グラフとの試合の後に、父に試合を見てくれていたかどうかを確認してみたのです。父は “ちょうどパソコンの講習会があったから見れなかったよ” と言っ ていました」とオースティンは語るが、そのことを少しも酷いことだとは思わず、むしろその逆のようす。父母は彼女の愛情や敬意を、トロフィーの数で測るようなことを決してしなかったのだ。このおかげもあって彼女は、プレッシャーを感じることなくプレーに集中できたのだ。

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ポルシェとの約 40 年にわたる深い関わり: オースティンが 15 歳の時に人生で最初に出会ったポルシェは 924。現在は愛する 911 GTS RS を駆り、ロサンゼルスの南部郊外にあるパロス・ベルデスの丘を楽しむ

グランド・スラム・チャンピオンの学校生活

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不満:若いトレーシー・オースティンに敗北し、完全に失望しているマルティナ・ナヴラティロヴァ

テニスボールを維持することと同様、堅実な学校生活を送ることもトレーシー・オスティンにとっては大きな課題だった。「テニス界で過去に 10 代で成果を出すという前例がなかったのです。なので正しい決断を下すには、常に自分自身がしっかりとしなければいけませんでした」。急速なテンポでテニスのキャリアを積みあげ、学生時代を非常に忙しく過ごさなければいけなかったのだ。だが、学校を卒業しようと決心した彼女はきちんと学業を全うする。ニューヨークの全米オープンで優勝したその二日後には、まるで何事もなかったかのように学校の校庭で遊んでいるオースティン。また学校の試験がグランド・スラム大会と重なった際には、試験を優先させるということで証明した。全ての期待に応えるべく、意志を強くして努力を 重ねる彼女に対して、両親は完全に信頼を置いていた。海外で行われる大会には常に母親が同行したのだが、とても穏やかなコーチだったようだ。「試合中に厳しいことを母から言われたことは一度もなかったように思います」。シュトゥットガルトの南部郊外で第一回ポルシェ・テニス・グランプリが行われたときにも母親が付き添った。「小さなテニス・クラブのホールで試合をしたのですが、非常にアット ホームな雰囲気だったのを覚えています。実はそこで人生で初めてのマッサージを経験したのです。歓迎されているという温かみを感じるマッサージの心地よさが試合に反映されたのだと思います」と、彼女は当時を振り返る。

2006 年に大会開催地がシュトゥットガルトのポルシェ・アリーナへ移転した。理由は、このイベントが女子テニス協会(WTA)において重要な位置を占めるようになったからだ。2015 年そして 2016 年現在での世界ランキングでトップに君臨している完全無敵のアンゲリク・ケルバーは今年も参戦予定。かつての連続チャンピオンだったオースティンは、ドイツ人選手のケルバーが今後の大会でも優勝していくと確信している。「アンゲリクは以前よりもさらに攻めの体勢でプレーしています。自身のプレーに非常に大きな自負があるからでしょうか、以前よりも打撃が強くなっていますね」。彼女に賞賛されているケルバーですら、テニス界のトップへと躍り出たのは 28 歳のときであった。これは、過去数十年の間にスポーツのあり方に変化があったことを示している。「私の時代では若手で世界ランキングの 上位にい続ける選手は滅多にいませんでした」と、オースティンは話す。最高レベルのテニスプレーヤーは以前よりも更に力を必要とする。10 代の若者にとってはそれを維持することは非常に過酷なことであるのだ。彼女は更に説明する。「大きなキャリアを続行するというスタートラインは以前よりも遅くなっています。ですが、持続性の高いものとなりました。今日のスポーツ選手は、昔よりも身体へ気をつかっているからなのでしょう。私の時代には専門家やアドバイザーの付き添いはなかったので、自分自身がコーチになり自分を指導するしかなかったのですから」。

必要とされたファイティング・スピリット

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専門知識も高く評価され、現役を退いた後も BBC や US テニス・チャンネルなどのテレビ番組でコメンテーターとして活躍を続けるオースティン。18 歳になる息子のブランドンもプロ選手としてのキャリアを積むために、現在努力を重ねているところである。2015 年の US オープンではこの親子が同じテニスコートで試合を行った。ブランドンが『ジュニア・マッチ』を終えた後に、母のトレーシーが 『ウーマン・レジェンド』というカテゴリーで、かつてのライバルのマルティナ・ナヴラティロヴァと対戦したのだ。「息子のブランドンのマッチの後ですよ。興奮してしまって、肝心の自分の試合ではほとんど集中できませんでした」。かつて 集中力に優れた選手として知られたオースティンも、この時ばかりは違った ようだ。

 “前向きにポジティブとなり物事を考える”。これはオースティンがプロテニスを通じて学んだことで、「負けた時のショックは勝った喜びよりも大きいものなのです。このショックからはなかなか立ち直れないものです」と説明する。芸術では挫折から新しい衝動を得て、弱点を克服することが重要視される。逆にオースティンの性格形成はスポーツから得たことが多く、彼女はスポーツに感謝の念を抱いている。規律を守り、ストレスと付き合う能力、そして更には良き母であることもスポーツを通して学んだ。それから ”諦める” という選択肢はオースティンには存在せず、「常に自分を信じることです。自ら士気を削ぐようなことはあってはならないのです」と、自身の経験から語るのだ。彼女のテニス人生では多々、ファイティング・スピリットが要求された。20 代初めに激しい背中の痛みに悩まされた時は治療を続けてもはほとんど効果がなく、彼女の俊敏な動きは失われた。これが理由で連続優勝の記録は途絶えることになり、1983 年にスポーツと距離を置くことになってしまった。そして続く 89 年に交通事故に巻き込まれ、危うく命を落としかけた。対向車が時速 100km で彼女のクルマに衝突したのだ。オースティンの右膝の骨は粉々になり、ボルトでの固定を余儀なくされる全治一年の大怪我だった。それから何度か復帰を試みたがうまくはいかず、92 年に「テニス殿堂入り」を果たした後の 94 年に、完全に現役引退を表明したのだ。

「毎朝、テニスで目標だったことを思い出しながら起床するのです。この長い 人生でテニスのない日々は虚しすぎます。諦めることの難しさを本当に感じていました」とトレーシー・オースティンは、リビングルームでズボンの裾を捲り上げ膝に刻まれた細長い傷跡を見せてくれる。彼女は困難なスマッシュを打ち返すが如く、人生の戦いの場としてテニスに留まることに決心したのであった。「あの事故を経験したことで全てが変わりました。でも、命に対して感謝することの大切さとテニス界の外にもある喜びを、あの事故が教えてくれたのも事実です」。そして彼女は続けるのだ。「パロス・ベルデスの丘への小さなドライブは、まさにその喜びの一例ですね」。

Barbara Esser
写真 Serge Hoeltschi

ポルシェテニスグランプリ


2017 年に 40 周年を迎えるポルシェ・テニス・グランプリは、女子テニス協会(WTA)で重要な大会の一つ。世界で開催されるス ポーツの祭典の中で特に選手たちに人気の高い開催の一つとして挙げられる。今年の記念すべき 40 周年大会は、4 月 22 日~30 日にシュトゥットガルトにあるポルシェ・アリーナにて開催予定。第一回優勝者であるトレ シー・オースティンの参加をはじめ、その他 32 ヶ国から女子トッププレーヤーたちが結集する。「私にとって、シュトゥットガルトはホームグランド。特別な雰囲気を漂わせるこの大会と、素晴らしい観客の皆さんにお会いできるのを楽しみにしています」と、ポルシェ・ブランドアンバサダーを務める世界ランキング 1 位のアンゲリク・ケルバーはコメントする。アンゲリク・ケルバーの他にも WTA ツアーのファイナルで彼女と対戦したドミニカ・チブルコヴァ(スロヴァキア)、2015 年シュトゥットガルトで開催された WTA ツアーファイナルの優勝者であり、世界ランキング 3 位であるアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)も名を連ねている。

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