Porsche

アーカイブ  2006


ポルシェが自動車の設計を始めてから75年(5)

国民車構想の傍ら、1938年からシュトゥットガルト市内のツッフェンハウゼンへ移っていたポルシェ設計事務所は自動車業界からさまざまな開発依頼をこなしています。ダイムラー・ベンツ AGの依頼でメルセデス「シルバーアロー」のためのエンジン技術部品の開発を手がけたほか、1937年から1939年にかけてタイプ80と名づけられた国際速度記録車を設計。また「ドイツ労働戦線 (DAF)」の依頼で農業用の小型トラクター、タイプ 110を開発。このトラクターには空冷式の2気筒エンジンが搭載されており、後の「国民トラクター (フォルクストラクター)」や第二次大戦後に製造されたポルシェ・ディーゼル・トラクターの原型となったものです。1938/39年には、ベルリン-ローマの長距離レースのために、後のすべてのポルシェ・スポーツカーの原点といえるタイプ 64が作られました。フォルクスワーゲン・タイプ 60を基にしたタイプ 64を、「Kraft durch Freude」(KdF、歓喜力行団)が、「KdF ワーゲン」 と名前を変えてレースに参戦させて宣伝効果を狙いました。1939年、アルミニウム製流線型ボディにレース用にチューンを施したVW製水平対向エンジンを載せたモータースポーツクーペが3台作られましたが、その年に予定されていたベルリン-ローマの長距離レースは戦争を理由に中止されています。

第二次世界大戦勃発後はフォルクスワーゲンをベースにした軍用車が製造されます。タイプ 81の「VW パネルトラック」のほか、1937年末に社名をポルシェ KGとした会社によってタイプ 62 「KdF オフロード車」、「VW キューベルワーゲン」の名で有名なタイプ 82、そして4WD システムのタイプ 87とタイプ 166「VW シュビムワーゲン」(水陸両用車)が開発されています。1939年末、ポルシェ設計事務所は兵器省から中戦車の開発依頼を受けましたが、より重量級の戦車が必要となったため、この設計は早々に中止されています。タイプ 101「タイガー」によってポルシェ KGは兵器省による50トンの重戦車の設計公募に参加。1942年、フェルディナンド・ポルシェは超重量級の戦車の依頼を受け、タイプ 205「マウス」を設計しますが2台のプロトタイプが作られただけで、実戦には使用されませんでした。

2006/4/14