ポルシェが自動車の設計を始めてから75年(2)
1900年、当時24歳の若き設計技師であったポルシェ博士は、ウィーンのオーストリア王室御用達ローナー宮廷馬車工場の依頼により開発したハブモーターを備えた電気自動車によってパリ万国博覧会で大好評を博し、その名を初めて世に知らしめました。さらに同じ 1900年には初めてガソリンエンジン/電気モーターの組み合わせによる駆動システムを搭載した、ローナー・ポルシェのハイブリッド車を作っています。
これは今日のハイブリッド車の原点といえます。そのすぐ後には、彼は4WDシステムと4輪ブレーキシステムを自動車に導入しています。1906年、彼はウィナーノイシュタットのアウストロ・ダイムラーに技術部長として迎えられ、31歳にしてヨーロッパ有数の自動車メーカーの開発責任者となりました。この時期の最も偉大な業績のひとつに、いわゆる「プリンツ ハインリヒ カー」があります。この車でアウストロ・ダイムラーチームはベルリン - バートホンブルク間(1,495Km)を走る当時人気を博していたレース、プリンツ ハインリヒ トライアルに参戦し、1位から3位までを独占しています。アウストロ・ダイムラーでは小排気量のレーシングカー「サーシャ」を開発し、1922年シチリアで行われたタルガフロリオで大排気量のライバルを尻目に優勝。この車は、数々のレースで少なくとも43回の優勝を飾っています。
1923年、フェルディナンド・ポルシェはダイムラー自動車会社(Daimler-Motoren-Gesellschaft)の技術部長としてシュトゥットガルト郊外のウンタートゥルクハイムへ移ります。そこで彼は、ミドルクラスモデルのタイプ8/38や初めて8気筒エンジンを搭載したメルセデスベンツのほかに、「ニュルブルク 460」 を開発します。このモデルはスーパーチャージャー付きのスポーツ/レーシングカーで、これによって自動車設計者としてのポルシェ博士の名声はさらに高まることになったのです。ポルシェ博士の指導の下に開発されたスポーツ/レーシングカーの中でも、略号名称 「S」 (Sport)、「SS」 (Super Sport)、「SSK」(Super Sport Kurz) が付けられたモデルは当時最も人気のある車でした (Kurzは「短い」の意)。1929年、ポルシェ博士はダイムラー・ベンツ AGを去ります。オーストリアのシュタイア社に短期間所属したあと、1930年にシュトゥットガルトに戻った彼はクローネン通り24番地に設計事務所を構えたのです。
2006/4/14